少年から国連へ質問

"How many dead bodies needed for UN to take action?"

 

"国連が行動を取るためにどれぐらいの遺体が必要ですか?"

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少年は手書きのプラカードを持って2月20日の夕方から夜7時半までヤンゴンにある国連事務所の監視カメラの前に立っていた。

彼なりの意思表明だ。


2月1日に国軍がクーデターで政権を掌握してから医療従事者をはじめとする公務員が不服従運動を始めた。不服従運動は徐々に広がり、教員、銀行員、鉄道職員も参加し、電力、建築、社会福祉、外交、運搬など国を回すために必要不可欠な政府機関の職員が不服従運動するようになった。デモは全国的に広がる中、軍はデモ鎮圧のため軍人を各地へ送ったり、戦車を移動させたりなど大急ぎで配置変えするようになった。互いに知り合いがない、愛着感がない他地域の軍隊に置き換えることで、抵抗感なく地域住民へ武力行使させることが狙いだ。そこで運送手段として鉄道、船を使うのが効率的だが鉄道職員は不服従運動した。軍が無理矢理に電車を運行させようとしても鉄道職員と市民らが線路に寝転がり、楯となったので運行できなくなった。鉄道が使えなくなったので軍は水路を使うことに決めた。


2月20日に軍隊と警察隊がミャンマー第二の都市であるマンダレーのゴーワェン港にやって来た。ゴーワェン港に停泊している船を運航させようとしたのだ。だが、造船所の職員たちは不服従運動中と言い張って固く拒み、船を出させなかった。軍人と警察が造船所職員に暴力を振らないよう、造船近辺に住む地域住民がを造船所周辺を囲んみ、軍と警察を出て行くよう鉄鍋や、鉄缶を叩きながら叫んだ。

 

軍はその状況を鎮圧しようとデモしている群衆に向かって発泡した。デモしている人々は逃げ回るようになり、逃げた人々を軍人が追いかけてゴム弾、実弾で発泡し、鉄棒で叩いた。負傷者が多数出て人々が逃げ回る中、負傷者を運ぶために来た救急車にも軍が発泡した。軍の実弾発泡により現場で2名死亡した他、負傷者が多数出た。


ソーシャルメディア時代だからこそ、ミャンマー国内だけでなく、国外にもデモする人々に対して警察と軍が武力行使した様子、急いで逃げ回る手ぶらの市民に対して、まるで戦場にいるかのように射撃しながら追いかけて行く兵士の様子、実弾で撃たれた怪我人を僧院の中で医者が救急手当する様子をライブ画像で見れた。ミャンマー国民は怒りと無力さでやるせない気持ちでいっぱいだった。国連事務所の前でプラカードを持って立ってた少年もやるせない気持ちでいっぱいいっぱいとなり、自分が出来ることをやろうと国連に助けを求めたのだろう。


マスクつけて帽子かぶっているため少年の顔が見えないし、年齢もわからないが体型からみてまだ20歳前後だと思う。少年の隣に自転車が見えるため少年は自転車に乗って国連事務所へ飛んで来たのかもしれない。懐中電灯を持ってないためスマホの画面を懐中電灯の代わりに使うことでプラカードの文字をはっきり見えるように工夫してた。今時の子のスマホの使い方だ。


少年は国連にどんな行動を取って欲しいのだろう。

 

プラカードの文章をそのまま読むと少年は国連に対して質問をしているのが、彼はもし、遺体が必要であれば自分の命を差し出すと言ってるようにも感じられる。


この写真がソーシャルメディアで広がり、翌日には""How many dead bodies needed for UN to take action?"と書いたプラカードを持ってデモ行進する人々も多数いて、その様子を時事通信が写真に収めて、PRESIDENTが記事にした。その記事はこれだ。

https://president.jp/articles/-/43605?page=1


おそらく少年の質問は日本の読者にも届いたのだろう。

 

少年がそのプラカードを持って国連事務所前に立ってから10日以上経ったがミャンマーの治安が悪化する一方だ。デモ行進する人に対して武力行使が当たり前のようになり、治安目的とは言え、そのやり方が残酷すぎる。2月28日にはミャンマー  各地にデモが行われたが警察と軍は武力行使を過剰な程に使ったため26名が命を落とした。


もう〜充分ではないのか?国連と国際社会は軍を非難する声明文を発表するだけだとミャンマー国民が報われないのだ。

クーデターと不服従運動

ミャンマーのいま

 

国軍が全権掌握に踏み切る際に出された理由としては、2020年の選挙に不正があったというものでした。ミンスェ副大統領が、1年を期限とする非常事態宣言を発表、憲法419条に基づき、ミンアウンフライン国軍司令官に、立法、司法、行政の国家権力を移譲しました。これに基づき、ミンアウンフライン司令官を議長とする「国家統治評議会」が設置され、元の閣僚はほぼ解任となり、新たな閣僚人事が発表されました。

 

こうした状況に、現地ミャンマーでは、まずは唖然としたという反応でしたが、二日目からは夜間に鍋や缶を叩く抗議行動が始まります。医師の呼びかけで「不服従運動(Civil Disobedience Movement)」を開始、まずは7つの病院で公務をボイコットし、医療従事者に参加を呼びかけました。当初これが赤リボン運動として、より広い職種の公務員の職務ボイコットに結びつくにつれ、広くCDMと呼ばれるようになりました。

2月7日からは都市部を中心にデモが始まり、瞬く間に、CDMとデモが全土に広がっていきました。2月22日は、年を含めると2が5つ並ぶことから、8が4つ並んだ88年のデモにちなんで、最大規模のデモが行われました。

一方、デモの鎮圧も行われており、2月28日には22人が死亡したと伝えられています。

ミャンマーのいま

ミャンマーのいま

 

ミャンマーとはどのような国でしょう。

東南アジアの西の端にあり、インドや中国と国境を接している国。

あるいは森崎ウィンさんの故郷。

親日派の多い国。

全く知らなかった方もいらっしゃるでしょうし、いろいろな思いをもって、ミャンマーという国、あるいはミャンマーの人々と接して来られた方もいるでしょう。

とくに2011年以降はテインセイン政権下で民主化への舵取りが期待された以上に進んだことから、東南アジアにおける最後のフロンティアとして、経済的にも注目されるようになりました。

2016年には、国民民主連盟NLD)政権が与党となり、多くの企業がミャンマー国内にも参入し、人々の暮らしは大きく変化してきました。

 

ところが、2021年2月1日早朝、国軍はNLD党首でもあるアウンサンスーチー国家顧問、ウィンミン大統領ほか、NLD党員や地方議員等の身柄を拘束し、全権を掌握したことを発表しました。

その後、市民の側の抵抗が始まり、国軍側もそれを阻止し、ミャンマーの状況は日々変化しています。

ここでは、ミャンマーと日本を繋ぐかたちで、多様な情報を挙げていければと思っています。