クーデターと不服従運動

ミャンマーのいま

 

国軍が全権掌握に踏み切る際に出された理由としては、2020年の選挙に不正があったというものでした。ミンスェ副大統領が、1年を期限とする非常事態宣言を発表、憲法419条に基づき、ミンアウンフライン国軍司令官に、立法、司法、行政の国家権力を移譲しました。これに基づき、ミンアウンフライン司令官を議長とする「国家統治評議会」が設置され、元の閣僚はほぼ解任となり、新たな閣僚人事が発表されました。

 

こうした状況に、現地ミャンマーでは、まずは唖然としたという反応でしたが、二日目からは夜間に鍋や缶を叩く抗議行動が始まります。医師の呼びかけで「不服従運動(Civil Disobedience Movement)」を開始、まずは7つの病院で公務をボイコットし、医療従事者に参加を呼びかけました。当初これが赤リボン運動として、より広い職種の公務員の職務ボイコットに結びつくにつれ、広くCDMと呼ばれるようになりました。

2月7日からは都市部を中心にデモが始まり、瞬く間に、CDMとデモが全土に広がっていきました。2月22日は、年を含めると2が5つ並ぶことから、8が4つ並んだ88年のデモにちなんで、最大規模のデモが行われました。

一方、デモの鎮圧も行われており、2月28日には22人が死亡したと伝えられています。